ブロヴァルィー (Brovary)
ブロヴァルィーという地名は、初めて1628年の史料に登場する. 当時のブロヴァルィーはヴィシュネヴェーツィクィイ家が領有する集落であった. 集落内には48の農戸と68のコサック戸があり、集落の主な産業は農業と醸造であった. 1648年から1657年の間にフメリニツキーの乱が勃発すると、ブロヴァルィーはコサック国家の百人隊地区の町となったが、1667年にキエフ百人隊地区に編成された. 1668年に町はクリミア・タタール人によって占領されて全滅したが、18世紀後半に復活した. 19世紀中にブロヴァルィーでは郵便局や鉄道が設置され、小学校、中学校や図書館など文化施設が建てられた. 1923年にブロヴァルィーはブロヴァルィー地区の地区庁所在地となった. 1935年にブロヴァルィー空港が建設され、1960年代までにキーウの最大空港として利用された. 第二次世界大戦中にブロヴァルィーは全焼し、1950年代にゼロから再建された.